じじぃは語りたいのだ

じじぃの戯れ言、独り言

言葉の解釈「コスパ」

テレビなどを見ていると「コスパ特集」とか言って、商品やサービスなどを値段の安さを強調する形で紹介していることが良く目にするが、そこに少し違和感を感じる。

コスパ」とはコストパフォーマンスの略語とのことのようだが、つまり、得られる成果から見て値段的にお得な状態をコスパが良いというわけです。従って、本来は値段を強調するのではなく、サービスや商品の質の高さを伝えることが大事なのではないかと。

そもそも、「より安く」という社会の意識自体が、あまり良い価値観には思えない。安く提供することを「消費者に優しい」と表現することにも違和感を覚える。値段というのは、そのものの価値を表しているので、値段と価値は釣り合っているべきで、お値段以上の価値があるというなら、その値段は価値を反映していない誤った評価であるということになる。

社会全体から見ると、消費者は消費者という立場だけではなく、パフォーマンスを提供する側でもある。価値を度返しして安く提供し続けた先に社会全体として幸せな結末は待っているのだろうか。

より良いものをより安く提供しようとする企業努力は賞賛に値するが、もう少し消費者は意識を変えなければならないのではないか。

金は天下の回りものなので、出した分しか入って来ない仕組みになっている。全ては繋がっているから、消費者に優しいということは、逆の立場の人にとっては厳しいということで、全ての人が消費者であり提供する側でもあるということを考えると、安さ至上主義って世の中にとってどれほどのプラス効果を与えているのか甚だ疑問でしかない。

と言っても、ここまで複雑化した世の中になった今となっては、手の打ち様がないのが現実なのかもしれんですな。

解釈の違い

世の中に「早寝早起き」という言葉がある。

これは何を言わんとしてる言葉なのだろうか?と、ふと疑問に思った。

一般的にはそのまま単純に「早く寝て早く起きること」というだけのことでそれ以上でも以下でもなく、「これは健康の基本なのだよ」ぐらいの感じで使われているのだろうと思う。

誰がこの言葉を初めにお創りになられたのかは存じ上げませんが、私には「早寝」と「早起き」は原因と結果に見え、つまり、早起きするには早寝すればよいだけのことだよと方法論を説いている言葉のように思う。もっと言うならば、意識として「早く起きること」に重きを置くのではなく、「早く寝ること」に重きを置きなさいということから、何か物事を成し遂げるには結果を意識するのではなく、その前のことを大事にすることがコツであると教えている言葉なのではないかという考えに至った。

あ、気付けばもう夜9時を過ぎている。明日、朝早く起きなければならないので、もう寝るとするか。

終わりの始まり

メタバースとやらは何でしょうか?

生きていく上で必要なものであるとは到底思えないが、日々の生活を彩る要素は大きいのかもしれませんね。

しかしながら、人間はこの先どこに向かって進んでいるのやら。

心配したところで私がその進んだ世界を目の当たりにすることは無いであろうから、まぁ良い。

とりあえず自分が食べる分の作物だけでも育てよう。

プラス言葉とマイナス言葉

相手の良い点を見つけて誉めることをプラス言葉で、悪い点を指摘するはマイナス言葉であると思われがちだが、その時点ではプラスかマイナスかは決まらない。

悪い部分が見えて指摘して、その改善点(策)が思い浮かび、それを伝えることで全てがプラス言葉に、反対に、悪い部分ばかりを見て指摘のみをすると、それはマイナス言葉でしか無い。まぁ、受け取った側がそこから改善策を考えてプラスに転じる場合もあるが。

同様に、プラス思考とマイナス思考というのがある。プラス思考って、なんでも楽しいとか感じる思考などではない。例えば、何か望まざる出来事が起こった時に、絶望してしまう人がマイナス思考。反対に、この出来事から何か掴んで活かそうという気質がプラス思考であろう。

悪い部分が見えることは悪い事では無い。むしろ良いこと。改善点が見えなくては、改善の可能性も無いのだから。そして改善策は星の数ほどある。どういう改善策をチョイスするかが改善の鍵を握りますなぁ〜。

マイペース

やらなければならないと思っていることに追われて、やりたいことが全く出来なくなっているという状況は何とか改善して行きたいと思うところである。

さて、どう改善するか。

やらなければならないと思っていることを、本当にやらなければならないことなのか、それとも、そう思い込んでいるだけで実はそうではないことだとか、もしくは、他の人の協力などで分散してやれることなのか、など、全て自分一人で処理すべきものかどうかを冷静に見直すと改善の方向性が見えて来るのではないだろうか。

自分のペースで走るのが結果的には一番早く、そして長く走るコツなのだろうと思う。

とはいえ、わがままに成り過ぎな生き方になっては行けない。

バランスよく、少しでも早く走ろうという意識を持ちつつですね。

言葉だけが独り歩き

コロナに対して「正しく恐れる」ってどういうこと?

どういう恐れ方が正しいのか?

それはどこで確認したら良いのじゃ?

正しさの基準は?

「正しく恐れましょう」というフレーズは聴こえは良いし、私もそうしようと思う気持ちはあるが、曖昧過ぎて結局私はまだ分からない。

言い換えれば「恐れ過ぎず、恐れなさ過ぎず」ということになるのだろうけれど、これもまた曖昧な、イメージだけの言葉で、根本を解決するには足りない。

世の中というのは、こういう状態でも無情に突き進んで行くものなんだなと改めて実感する日々である。しかし、だからといって考えることを避けてはいけないと思う。考えて克服出来るところも人間の誇るべき価値の一つだと思うから。